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T.先代と喰切(くいきり)
大正15年、三条町(現在、新潟県三条市)は
金物の町として栄え、鍛冶屋が軒を並べ職人気質の男たちが腕を競い
合っていました。
先々代の小林祝三郎もその一人で、
ニッパーの前身とも言える「喰切」に目をつけました。
「どうせ作るなら、他人と違うものを、
もっと使いやすい道具を作りたい。」
そこで考えたのが取っ手の部分でした。 取っ手が直線的な従来の
「喰切」に比べ、握った指の形にカーブさせたその道具は、手になじんで
使いやすく高い評判をいただきました。
その形状が瓢箪に似ていることから「祝瓢」
という刻印がつけられました。
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U.瓢箪型爪切
昭和25年、戦後の混乱も落ち着き人々は生活に便利さを求めるようになってきました。
また、火造りの喰切は量産型の安価なニッパーに押され、その市場も小さくなって
いきました。
そこで、祝三郎はそれまでの技術を生かして「爪切」を作ることにしました。
自作の爪切が「こうもり(蝙蝠)に見える」と
BATマークを思いつきました。
祝三郎の作る喰切の切れ味には定評があり、新作の爪切も愛用者がふえていきました。
祝三郎が火造りをし、その妻タズが「太鼓バネ」を巻き、完成した品物を
子供たちが金物問屋に納めていました。
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V.黒い爪切
昭和49年7月、祝三郎の長男である小林騏一によって叶z訪田製作所を設立、
商標「諏訪田」を登録しました。
前述の蝙蝠印の爪切は、鋼本体にニッケルメッキを施すために切れ味の追求にも
限界がありました。
「これでいいと思ったら、職人ではない」
という言葉のとおり、諏訪田の職人たちの「もっと良いもの、もっと切れるもの」
へのこだわりが「黒い爪切」を生み出しました。
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W.斜刃爪切
草履や下駄から靴に変わって、日本人の足は欧米人並の苦労を強いられることになりました。
中でも、「巻き爪」は爪が自分の肉に食い込むように
生えるので痛みがひどく、重症になると 手術しなければなりません。
そうした患者を多く持つ欧米、特にドイツの爪切には、刃先が尖っているものが
多く見うけられますが、諏訪田の職人たちは切れ味に納得がいきません。
その頃、盆栽用鋏「又枝切」を手がけていた
彼らは、それを改良して「黒い爪切・斜刃」を製作。 従来の「黒い爪切」は、
形を少し変えて
「黒い爪切・平刃」として再登場しました。
斜刃は、普通に使っても切りやすく、その薄い刃は爪の甘皮もきれいに切ることが
できます。
もちろん、巻き爪の方には絶大な賞賛を受け、その後発売された
「ステンレス斜刃爪切」は
医療関係者の間にもその評判が広がっていきました。
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X.職人の苦労
こうして職人の心意気によって生まれた諏訪田の爪切でしたが、
そのほとんどが手仕上げによるもので、日に数丁しかできないという有様でした。
「納期半年以上」の状態が長く続き、
お客様の間からは「幻のつめ切り」と囁かれるようになってしまいました。
「お客様が困っていらっしゃる」状態を憂慮した
工場長の小林英夫(祝三郎の次男)は、材料の型をより精密にする工夫を重ねました。
バブル景気が終わり、人々の生活は「良いものを長く使う」
スタイルに変わってきました。
「黒い爪切」に使用していた板バネは耐久性に乏しく、10年以上の使用には
不向きです。
細部にわたり研究が進められ、平成8年、
「クラシック」を始めとする「SUWADAつめ切りシリーズ」が生まれました。
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Y.進化するつめ切り
テレビや雑誌の通信販売などで紹介されることが多くなり、一般のお客様からも
お求めいただける環境が整ってきました。 インターネットの普及で、実際にお使いいただいている
お客様からのご要望を直接お伺いできる機会も増えています。
その全てを実現することは難しいですが、できる限り多くのお客様からご満足いただける
モノ作りを進めていきたいと考えております。
シリンダーバネを採用することで、
厚さ1センチほどの爪も難なく切れるようになりました。
また、初めて直刃タイプの「足用つめ切り」
も開発しました。
SUWADAつめ切りは、これからもお客様のご意見を参考にしながら、進化を続けてまいります。
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